History沿革

会社設立のいきさつ

昭和20年、終戦により満州から引き揚げて来ました元満州製鉄株式会社(株式会社昭和製鋼所・本渓湖煤鉄公司・東辺道開発株式会社・三社の合併会社)の社員3万2千余名の相互連絡および就職斡旋をはかるため、元満州製鉄株式会社理事 秋田豊作(故人 元会長)が中心となり満州製鉄鉄友会を結成しました。

その運営費用を得るために、渡邊慎介(故人 前会長)が当時の日本製鉄株式会社各製鉄所のご協力を得て鉄友会商事部として、政川友治(故人)と共に修復期にありました各製鉄所に機械器具、車輛、安全防具等を納入しました。

また製鉄所から屑板、コークス等の払下げを受けてこれを各種家庭用品に加工販売し、これを機に有限会社日興産業を設立し、日本製鐵、分割後は八幡、富士の各製鉄所に納入する商事会社として営業を続け、満州製鉄鉄友会の費用にあてていました。

とくに31年から35年までは厚生省よりの引揚者給付金に伴い、外地在職証明の発行(約13,000通)など困難な仕事もありましたが、これからがひと区切りついた段階で、それまでの営業実績をもとでとして昭和36年9月現商号の日興産業株式会社に組織変更し、発展的な再出発をいたしました。

満州製鉄鉄友会の主要業務はほぼ完了してはおりますが、日本人従業員3万2千余名その家族をあわせると約8万余名の人々に係る引揚者交付金の請求に添付した証明書、恩給法による関与法人証明など満州製鉄関係の資料を当社が保管して居りますので、諸事項の連絡および問合せは現在も続いて居り、当社は事業経営の傍らそれらの仕事も続けております。

沿革

昭和22年4月 資本金18万円をもって東京都中央区大倉別館に有限会社日興産業を設立
昭和24年3月 資本金を50万円に増資
昭和26年10月 資本金を150万円に増資し東京都千代田区丸ビルに移転し有限会社日興産業鉄友会と改称
昭和28年6月 資本金300万円に増資
昭和29年1月 八幡出張所を開設
昭和29年4月 姫路出張所および釜石出張所を開設
昭和29年5月 資本金を450万円に増資
昭和31年1月 室蘭出張所を開設
昭和34年2月 光出張所を開設
昭和34年9月 名古屋出張所を開設
昭和34年12月 大阪出張所を開設
昭和35年5月 本社を丸ビル5階に移転
昭和36年9月 組織変更し日興産業株式会社と改称
昭和38年4月 佐世保出張所を開設
昭和39年11月 大阪出張所堺分室を開設
昭和39年12月 本社を東京都千代田区新大手町ビルに移転
昭和40年4月 木更津出張所を開設
昭和41年10月 広島出張所を開設
昭和42年10月 大阪出張所を廃止し堺分室を大阪出張所と改称
昭和42年10月 名古屋出張所東海分室を名古屋出張所、名古屋出張所を同分室と改称
昭和43年3月 資本金を1,000万円に増資
昭和43年4月 木更津出張所を君津出張所と改称
昭和43年4月 姫路出張所空調部を新設
昭和43年8月 名古屋出張所分室を閉鎖
昭和44年10月 大分出張所を開設
昭和44年12月 資本金1,500万円に増資
昭和46年3月 広島出張所を閉鎖
昭和47年3月 建設業登録建設大臣(ヨ)第1631号
昭和48年1月 八幡出張所工作本部ビルサービスセンターを開設
昭和49年3月 大分出張所、事務所倉庫新設移転
昭和49年6月 建設業許可建設大臣般-49第4377号
昭和49年8月 千代田区タイムライフビルに本社分室を開設
昭和49年12月 資本金を3,000万円に増資
昭和51年3月 君津出張所倉庫竣工
昭和51年4月 姫路出張所空調部および大阪出張所空調課を分離独立させ日興空調工業株式会社を設立
昭和51年4月 八幡出張所工作本部ビルサービスセンターを八幡出張所戸畑分室と改称
昭和51年10月 姫路出張所新事務所、倉庫竣工
昭和53年9月 タイムライフビル分室を閉鎖
昭和53年12月 佐世保出張所を閉鎖
昭和55年11月 君津出張所事務所新設倉庫増設
昭和62年3月 八幡出張所戸畑分室、八幡出張所と統合
昭和62年10月 君津情報センターを開設
平成元年9月 釜石出張所を閉鎖
平成2年10月 室蘭、君津、名古屋、大阪、姫路、光、八幡、大分、各出張所を営業所と改称
平成5年12月 君津営業所富津分室を開設
平成7年4月 エンジニアリング事業部設立
平成7年10月 九州システム事業部設立
平成8年12月 九州システム事業部を九州システムエンジニアリング事業部と改称
平成13年3月 君津営業所富津分室を閉鎖
平成14年4月 本社を東京都千代田区鍛冶町KYYビルに移転
平成18年11月 九州システムエンジニアリング事業部を資源環境ソリューション事業部と改称
平成27年6月 建設業更新許可建設大臣般-27第4377号